はじめに
- 4月28日
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更新日:5月5日

駅の改札を出て階段を降り切り、しばらく歩くとその気功の治療院は視界に入ってきました。その瞬間、その時の自分がどんな状態にあっても「もうこれで大丈夫」という深い安堵感に全身が包まれるように感じました。
治療院は「先生たち」と、私と母が呼び慕うお二人が運営されていました。出会いから何年経っても、「真実」な方たちーという、お二人の印象は揺らぐことがありません。
もともとは、持病を抱えていた母がお世話になっていたのですが、私もその数年後、あるきっかけから通わせていただくようなりました。
それは社会人生活一年目の苦しい時期でした。初めて実家を離れて一人暮らしを始め、慣れない仕事と職場の人間関係でストレスを、文字通り「パンパン」に抱え込んでいました。そうした最中、大学時代の友人が自ら命を絶ったことを知りました。とびきり明るく、いつも笑顔の人気者だった友人の想像すらしなかった最期。どう受け止めたらいいのか混乱しました。が、自身の日々のルーティンを生きることで精一杯だった当時、悲しみもショックもあえて「感じまい」とシャットアウトしていました。
そんな折、上京した母がアパートにしばらく滞在していました。そしてある日、夕食を取りながら言ったのです。「あなた全然笑わないのね」。「え、笑ってるよ」と私が返すと、唇の端が少し動いているだけで、様子がおかしいと言います。結局、乗り気ではなかった私を説き伏せ、先生たちの治療院に急遽送り出したのでした。「病気ではない私が行っても良いのだろうか」「悪いところがなくて先生たちの時間を無駄にするんじゃないだろうか」。治療院に向かう間、そんなことばかり考えていました。
治療院に着き、ずっと母から話に聞いていた先生方にお会いし、柔和で温かいお人柄に安心しながら、訪れたいきさつを説明していたように思います。不意に私は大泣きし始めました。悲しみが込み上げた、というより、抑えていた心身の反応が急に解放されたような感じで、しゃくりあげて泣きつづけたように覚えています。
「あぁ、泣きたかったんですね。かわいそうに。ずっと我慢してたから...」。先生は優しく仰り、私が座っていた椅子の横の丸テーブルにティッシュの箱をそっと置いてくださいました。「泣きたいだけ泣いて、全て出し切ってください」。そう言って、私が落ち着くまで長いこと待ってくださいました。初対面の方の前で号泣するなど、生まれて初めてのことでした。「自分でも驚くような身体の反応が引き出される」という、治療院での最初の体験でした。
生来不器用で、今よりももっと心身ともに打たれ弱かった私は、その頃、どう生きたらいいのか、どう生きたいのかすら分からずにいました。周りの期待や反応ばかりを気に病み、ストレスで身体に様々な症状が出ていました。そんな時期に先生たちとの出会いをいただいたことは、感謝しても感謝しきれません。
お二人が施してくださっていた治療がどういうものだったのかは、凡人の私には今でも見当すらつきません。施術を受けた直後は身体も心も心地よくゆるんで、数日後には「全身に気が満ちわたる」という感覚がありました。自分の体験だけでなく、母からも毎度、どのように調子が良くなっていったのかについて詳しく聴き、また治療院に通い始めて以降どんどん元気になっていく姿を実際に見ていたので、その治療は頭では到底理解できないものの、身体と心の変化を通じて実感・納得せざるをえないものでした。
そして、いつからか、診療の際に掛けていただいた言葉からも「命を守りながら生きる」ための知恵や力を戴いている、と感じるようになりました。診療の帰りの電車の中や立ち寄ったカフェで、手帳に書き留めたり、携帯電話のメモに打ち込んだりした先生たちの言葉を、ある時 1 冊のノートにまとめました。今でも、問題に直面した時、日常のふとした時に、貴重な「気づき」を与えてくれるのはこれらの言葉です。
先生たちの言葉は、人生の色々な局面で私個人に掛けていただいたものですが、最近になって特に、これらの言葉に「一人一人の命が守られ、本当の意味で幸せに生かされるように」という普遍的なメッセージを感じるようになりました。長い間お守りにしてきたメッセージを、響く方に届けられたら幸いです。

